えちこの旅ブログ

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【100名城】No.72 郡山城(広島)

先週末、今年最初の旅として、千葉へ坂東三十三所札所巡りへ行く予定でした。

が、出発前日、胃腸炎だか食中毒だかの症状に見舞われ、あえなくキャンセル。

昨年は25年ぶりに高熱を出し、副鼻腔炎になり、持病の過敏性腸症候群も相変わらずで、あげく大腸ポリープは見つかるわ(良性でしたが)と、健康運が例年になく不調だったので、「今年は健康第一!」と意気込んで早々、悲惨な目に遭いました・・・

インフルもコロナも無縁なんですけどね。余裕ぶっこいてたら、違った角度から敵がやってきました。

(どうも私は、やたらめったら胃腸がやられがち・・・)

趣味を楽しむ為に一番大事なものは、体力と健康に満ち溢れた己の体だと再認識。

確実に年を重ねた体をいたわりつつ、今年も日本全国飛び回りたいと思います。

と意気込んだものの、新たな旅に行くことができなかったので、思い出を振り返る過去のお城訪問回顧録です。

今回は、広島の毛利氏ゆかりのお城、郡山城をご紹介します。

訪問日:2018年4月22日

郡山城へのアクセス

広島バスセンターから「吉田出張所」行きで約1時間25分 「安芸高田市役所前」下車徒歩約5分

安芸高田市役所前を下車し、5分ほどの場所に100名城のスタンプ設置場所である「安芸高田市歴史民俗博物館」があります。

隣の建物の王様の存在感よ。

博物館でスタンプを押して、毛利氏のお勉強して、お城のマップをもらっていざ、登城!(郡山城は山城です。)

お城へ登城する道は複数あったようですが、この博物館の横からの道が一般的のようだったので、そちらを選択。

登城モデルコースが、博物館横の案内図に書かれていました。

ご自由にお使いくださいの、杖もありました。

(帰りここに戻ってこない道に出たので、借りなくてよかった・・・)

まずは、「安芸高田少年自然の家」にある毛利元就公像にご挨拶。

毛利元就と言えば、「一本の矢は簡単に折れてしまうが、三本まとまれば折れない・・・」と息子たちに力を合わせることの大切さを説いた「三本の矢」の話しが有名ですが、どうもこれは事実ではないようです。

「郡山城跡」の石碑に到着。

私の出身地の奈良にも「郡山」という場所がありまして(厳密には大和郡山市なのですが)そこに同じく「郡山城」があります。なので、どうしてもこの名を聞くと奈良の方をイメージしてしまいます。

ちなみに奈良の郡山城は、続100名城に選ばれており、2026年の大河の主役・豊臣秀長が城主になったお城です。(訪問済なので、いずれまた紹介したいと思います。)

郡山城の歴史

郡山城は14世紀中ごろ、この地の地頭として勢力を拡大していた毛利氏によって築城されました。

元々は、郡山東南の一支尾根でしたが、16世紀中期、毛利元就によって郡山全体に拡大。

城内は270もの郭を持つ西日本最大級の中世山城となりました。

1591年、元就の孫・輝元が近世城郭の広島城に本拠を移し、その後関ケ原合戦後の国替えにより郡山城は廃城となりました。

iechiko.hatenablog.com

城内の見どころ

山に入るまでは、しばらくアスファルトの上り道が続きます。

山に入る前に毛利元就火葬伝承地があります。

この鳥居から山の中へと入って行きます。

まずは、毛利元就墓所を目指します。

墓所までは、このように歩きやすいアスファルト道。

お墓までは5分もかかりません。

毛利一族墓所

こちらは毛利氏一族のお墓。

系図と共に、どこにどなたが埋葬されているのか分かりやすく説明されています。

元就のお兄さん(興元)と、その長男(幸松丸)、元就の長男の隆元の奥さん、そして先祖の方々。

がこちらに埋葬されてるそうです。

ちなみに、長男隆元の墓地は別の場所にあります。ちょびっとルートから外れていたので行きませんでした。

(正直そんなに遠くはなかったと思うんですが、お墓参りがメインではないので・・・)

こちらが毛利元就公墓地

墓地の近くに「百万一心」と刻まれた石碑があります。

郡山築城の際、何度築いても石垣が崩れてしまい築城が難航しました。

当時、このようなことが起こると人柱を立てることがよくあったのですが、元就は「人の命は尊いものだ。代わりにこれを埋めよ」と「百万一心」と書いた紙を渡したそうです。

「一日 一力 一心」とも読めることから 「日を一つに、力を一つに、心を一つに」という共同一致の精神を説いた言葉。

その伝説に基づいて昭和6年に建てられたそうです。

ここからいよいよ本格的に山に入ります。

最初はこのような石畳ですが

すぐに未舗装の山道になりました。

当時、年に数回は四国へお遍路旅に出ていた私。こういう場所に来ると「あー遍路道みたいだなー」とすぐ連想していました。

山の中に古墳がありました。

・・・んー?あの辺?

(とりあえず、標識が差す方向写してみた)

ちょっと開けた場所から市内が見下ろせます。

そして、この後、ひたすらクマバチにつきまとわれながら山道を行く羽目に。

何やお前は!デンボか!わしゃ、おじゃる丸様やないで!!と心の中で叫んでみても、もちろん届くはずもなく。

挙句、どこからともなく、クマバチもう1匹登場。目の前からどかん。

何なん。自分ら、何の嫌がらせなん。

春の山は危険がいっぱい。

御屋敷跡

ここには、当時の石垣が散乱しています。

色んな資料に「郡山城は本丸を中心にヒトデのように曲輪が伸びている」とが書かれていたんですが、イマイチどういうことなのか分からなかったんですね。(図形問題とか超苦手な人)

ですが、この案内板を見てようやく理解できました。

うん、確かにヒトデっぽい。

土塁跡

ここから本丸はもう一段上がっていて、ちょっとした小山を上るんですが、ちょうどその辺りから中学生ぐらいの男の子と、そのお母さんと、おばあちゃんと思しき3人が降りてきました。

すれ違い様にお母さんに話しかけられました。

こんにちはーどこから来られたんですかー?

あ、大阪です。

え?大阪からわざわざこんなとこに??

私100名城っていうお城のスタンプ集めてまして、ここもそれに登録されてるので。

えー!すごいですね。素敵なご趣味ですね!!支持します!!

・・・あ、ありがとうございます。

広島安芸高田市にて、私、清き一票頂きました。

生まれて初めて、面と向かって「支持します」って言われたわ。

そんな素敵な方たち(ちなみに、この方たちは近所なので散歩がてら来たそうな。散歩がてら来るほど気楽な道のりでもないと思うけど・・・)と分かれて到着した二の丸跡

さらに、もう一段10メートルほど上がったところに本丸跡。

この辺りが、ヒトデ型の中心部分。

元々、郡山城は毛利氏の居城だったのですが、最初はこの山の一部分にすぎませんでした。

それが、毛利元就が力をつけるにつれ、城もこの郡山全体に拡張されたのは前述の通り。

この本丸には城主の館があり、拡張後の中心地だったと考えられています。

さらにもう一段上がっているところが櫓台。このお城の一番高い場所です。

ここから再度小山を降りると三の丸跡

この辺りにも当時の石垣跡が残っているということで、どの辺かなーと落ち葉をガサガサ踏みながら歩いていたら、ガサガサガサっと明らかに風で葉っぱが舞っただけではない音が。

ヘビ、がにょろりんと登場。

山を歩いていると時折出くわすので、それほど驚きはないですが、毒の有無を見分けられるほど蛇に詳しくないので、近づかないに越したことはありません。

石塁跡

正直、説明書きがないと、単に石が散乱してるだけの場所です。

きっちり積まれて隙のない石垣もいいですが、これはこれで廃城感あっていいじゃない。(もれなくヘビもついてきますし。)

城の中心地をぐるりと探索し、上りとは異なるルートで下山開始。

尾崎丸堀切

山城の入口を守るための番所に当たる部分。

ここから尾根を下ったところに、元々の城だった旧本城がありますが、時間の都合でそちらへは向かわず。

ちなみに、いちいち触れていませんが、定期的にクマバチに遭遇し続けています。

そして、本来歩きたい方向にクマバチさんが数匹登場。

またまた目の前でとうせんぼしたので、思わず横手にあった階段へ。

うっそうとした城跡から突然、ジャングルジムのある公園に出ました。

興禅寺というお寺があった場所で、現在は「郡山公園」として整備されています。

さらにそこから3分ほどの場所に清神社という神社があります。

毛利氏の鎮守社として、祈願所であった神社。

現在は、サンフィレッチェ広島の選手が勝利祈願に訪れてるんだそうです。

ちなみに、サンフィレッチェって日本語の「三」とイタリア語で矢を表す「フィレッチェ」の造語なんだそうです。

毛利氏の「三本の矢」の格言から来てたんですって。へ~へ~

お寺の裏側の山の方から境内に入ったので、鳥居は出口としてだけ利用。

これで、平地に到着です。

スタート地点の博物館横からは、約500mほど東側に出てきました。

帰りのバスまでは時間が40分ほどあったので、近くにあった大型スーパーでちょいと休憩。

で、このスーパーの駐車場からきれいに郡山が見えました。

山の中腹部には、毛利氏の家紋もあります。

この家紋、展望台に吊るされていて、写真を間近で撮ろうと思ったんですが、例のごとくクマバチさんに行く手をはばまれ、撮りに行けなかったんです。

割と虫は平気なのですが、ハチ系と蛾だけはどうしても苦手です。クマバチって、危険性の低い蜂で、人を刺すこともあまりないらしですけどね。

帰りも1時間20分ほどかけて広島市内へ戻り、この後、名前が日本一素敵な福山城へ行ったのでした。

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