かれこれ十数年、「推し」である福山雅治さんのライブ参戦のため、年末は横浜へ足を運んでいます。
毎年欠かさず行ってる横浜ですが、行くのが年末ばかり。
大概の施設が年末年始休暇に入ってしまうので、行きたいと思っている所にずーっと行けてません。横浜ズーラシアとか。
それでも、2022年と2023年は数日間滞在し、鎌倉とか江の島とか、横浜周辺を観光していたのですが、年末に開いている行きたい場所には大体行きつくした為、2024年は大晦日日帰り。ライブだけ行って帰ってきました。
という訳で、新たな旅ネタが新年早々ない事もあり、またしばらく過去のお城訪問回顧録を続けます。
今回は、岡山にある備中高松城をご紹介。
大河ドラマでも描かれた事がある、大きな出来事があったお城です。
訪問日:2018年11月10日
備中高松城へのアクセス
JR「備中高松」駅から徒歩約10分
備中高松駅は、岡山駅からJR桃太郎線に乗って約20分。
列車の乗車時間はさほど長くないですが、この桃太郎線は1時間に1本ぐらいしか電車がありません・・・
それでも、バス乗ったり、タクシー乗ったり、駅やバス停からめっちゃ歩いたりしなくていいだけましです。
ちなみに桃太郎線、桃太郎のメロディー流れていました。
備中高松城の歴史
備中高松城は、はっきりした築城年はわかっていませんが、備中松山城の城主三村元親の命で、石川久武(ひさのり)が16世紀後半に築城したと言われています。
その後、久武の娘婿の清水宗治が城主になりました。
豊臣秀吉の中国攻めにより、毛利方の三木城と鳥取城は陥落するも、高松城は必死の抵抗で持ちこたえます。
ですがそんな中、軍師・黒田官兵衛の策と言われるあの有名な「高松城水攻め」が行われました。
周囲に約2.7キロの堤防を築き、足守川の水を引き入れ高松城は湖に浮かぶ孤城となりました。
そして、この水攻めの最中、秀吉のもとに本能寺にて織田信長が討たれた知らせが入ります。
信長の死を隠して、秀吉は城主の清水宗治の切腹と引き換えに、兵の命を助けることを約束し、毛利方と和睦を結ぶことを申し入れます。
宗治はその申し入れを受け入れ、切腹。それを見届けた秀吉は、俗に言う中国大返しで明智光秀を討つため、京都へ引き返しました。
そんな、歴史的に大きな出来事が繰り広げられた舞台がこの備中高松城です。
2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でもこの城の水攻めシーンが描かれていました。
(というか、このドラマがもう11年も前であることに、衝撃を受けている2025年現在の私。)
ちなみに、この策を真似て、石田三成が埼玉にある忍城(おしじょう)を小田原平定の際、水攻めにしましたが失敗に終わります。
こちらは、映画化もされた和田竜さんの小説「のぼうの城」のお話です。
忍城も続100名城に選ばれたお城の一つです。
城内の見どころ
現在は綺麗に整備されていて、もはや綺麗に整備されすぎていて、お城というより単に公園って感じでした。
全体図はこんな感じ。
三の丸
水攻め図
堤でせき止めた水を一気に引き込んで水浸し。にされたの図。
ただ、この水攻めについても色々な説があり、不明点も多いそうです。
高松城址公園資料館
こちらの高松城址公園資料館にスタンプがあります。
こちら、閉館時間が15時までと早めなので、要注意です。
水攻め時の各陣営配置図。
岡田くん(黒田官兵衛)はここに位置していたようです。
清水宗治像。
切腹の作法なども清水宗治が手本になっており、「切腹は武士の名誉」と後の世に定着させた人物と言われています。
二の丸跡
二の丸では現在、コメが作られていました。
公園内の蓮池。
宗治蓮と名付けられたこの蓮。
元々この地には「蓮池」の名前があり、それが400年の時を経て、歴史公園整備で沼を復元した際、自然にまた生えてきたんだそう。
草花の生命力、素晴らしきかな。
本丸跡
首塚
宗治の首塚は、秀吉が家臣に作らせた供養塔が元になっているそう。
かつて水攻めにあった城址は、今は子供が遊んだり、ご老人たちがお散歩して過ごすのどかな憩いの場となっていました。
城跡は、30分もあればくるっと1周できます。
備中高松城周辺のスポット
お城散策と合わせて、周囲にある関連スポットにも足を運びました。
妙玄寺
こちらに、清水宗治自刃の地があります。
1582年6月4日、宗治は湖の上に小舟を出し切腹しました。
それがこの辺りだと言われています。
そして、この場所から田んぼを通して向こう側に見える木のあたり。
「ごうやぶ」と言われ、宗治の死のあとを追い、家臣らが互いに刺し違えで殉死した場所と言われています。
蛙ケ鼻(かわずがはな)
水攻めの堤防が唯一残っている場所。
高松城跡からは、徒歩15分ぐらいです。
見張りがいました。
こちらも、現在は史跡公園となっています。
近所の子供たちが自転車乗ったり、虫取りしていました。
歴史的価値のある場所も、地元の人にとってはそんなもんですよ。
私も平城宮跡でバトミントンとかしてましたもん。
伝記『太閤記』などには、
「堤防の長さはこの蛙ケ鼻から足守川上流まで約2.7キロ、高さ7メートル。幅の底部24メートル、上部が10メートルという規模のもの。それをたった12日間で、近所の百姓に金や米と引き換えに土を運ばせ作らせた」
と残っています。
が、最近では長さ300メートル。高さも2メートルほどだったという説が有力だそうです。それぐらいで十分水が溜まる地形なんだそう。
約10倍の規模で記録するなんて。だいぶメガ盛りしましたねー。
遺構的なものがちょこっとだけありました。
こちらが、唯一残る東端の堤防跡。
登ってみました。
この周囲が一面水に遣っている姿を想像し、ちょっぴり軍師気分を味わったところで、お城散策終了。
ちなみに、この翌日は岡山マラソンに出走。
その2週間前に富山マラソンに出場しており、初めて1か月で2回フルマラソンを走りました
2週間前の疲れも残っていたようで、全くいい成績が出なかったので、2度とこんな無茶な大会スケジュールは組むまい、と学んだ年でした。
利用案内(高松城址公園資料館)
- 入館料:無料
- 開館時間:10:00~15:00
- 休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
※休館日の場合、100名城スタンプは近隣の「清鏡庵」に設置
続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック