えちこの旅ブログ

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【続100名城】No. 122 大多喜城(千葉)

いすみ鉄道の鉄印の旅と兼ねて、お城巡り。

鉄印が頂ける「大多喜」駅は、続100名城に登録された大多喜城の最寄り駅でもあります。同じ駅で「鉄印」と「続100名城」スタンプがもらえるここは、まさに私にとって一石二鳥の観光地。

列車の待ち時間の間を使ってお城散策決行!

いすみ鉄道【鉄印の旅】の記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

大多喜城へのアクセス

いすみ鉄道「大多喜」駅から徒歩約15分

本来、大多喜城のスタンプは天守を模した千葉県立中央博物館大多喜城分館にありましたが、現在休館中のため、駅舎の向かい側にある大多喜町観光協会にスタンプが設置してあります。

大多喜城の中に入ることはできませんが、外から見ることはできます。スタッフの方に地図をもらい、アクセス方法を教えてもらってお城へ。

大多喜城の歴史

中世の史料によると、大多喜は「小多喜」と記載があるため、大多喜城も小多喜城と呼ばれていたようです。

1590年、豊臣秀吉の小田原平定後に、江戸城に入った徳川家康の家臣本多忠勝大多喜城を築いたとされます。

本多氏のあと、阿部氏→青山氏→稲垣氏と城主は変わり、1703年に松平氏が入城したのちは明治の廃藩置県まで9代に渡り城主を務めました。

城の遺構

大手門

駅から間もなく、車道の上にでっかい大手門。

いすみ鉄道の線路を渡って、反対側へと歩きます。

このあとしばらく坂道を上って行くと、大多喜高校があります。

観光案内所の方に

徒歩なら、高校の中通って行くのが一番近いですよ。

と教えて頂きました。こちらの高校の中にお城の遺構もあり、観光客も入っていいみたいです。このご時世珍しいんじゃないでしょうか。

春休み?なのか高校内には学生さんは全然いらっしゃいませんでした。

薬井門

二の丸御殿の門。大多喜城内唯一の建造物の遺構です。

大正期に校門として寄贈され、その後昭和期に一旦解体保存されていたものが、昭和48年復元されました。

二の丸大井戸

本多忠勝築城時に作られた大井戸。

隣の自動車と比較すると、井戸の大きさがより分かります。この広さなら、貞子も夜な夜な出て来ずに快適に中で暮らせそう。

現在の大多喜高校の敷地は二の丸にあたるようで、敷地内から大多喜城天守(現 千葉県立中央博物館大多喜城分館)が見えます。
高校の中にお城の遺構があり、お城も見える。羨ましい限りです。学生さんにとっては当たり前で、特に何の感慨も沸かないかもしれませんが、大人になったら「歴史が身近ないい学校だったな~」と思うんじゃないかな。

休館のお知らせを了承し、階段を上がります。

天守千葉県立中央博物館大多喜城分館)

1975年に歴史博物館として建てられた天守。いつまで休館しているのかは記載がなく不明。

瓦には本多家と松平家両方の家紋が使われているということで、目を凝らして見てみました。f:id:iechiko:20230312184012j:image

こちらが本多家。

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こちらが松平家

展示室のような建物が別途あり、入室自由だったのでそちらに入ってみました。

戦国最強武将の一人とも言われる本多忠勝。57回の合戦に参加し、一度も傷を負わなかったという伝説も残っているそうです。私の中で、本多忠勝ってとワンピースの白ひげが被るんだよな。

おまけ

チーバ君、全身に城乱立の図。

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック