えちこの旅ブログ

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【続100名城】No.126 石垣山城(神奈川)

先週末、神奈川に1泊2日で行ってきました。

目的は、福山雅治さんのFCイベントです。またかよ。はい、またです。

今年に入って4度ライブに行きましたが、ファンにとってイベントへの参加上限はありません。少人数規模の会場だったんで、いつものライブとは違った感じでとても楽しかったです。

で、ただイベント参加して帰るだけではもったいない。関東方面に足を運ぶからには、城やら寺やらも行きます。勝手に「趣味の抱き合わせ旅行」と呼んでいます。

今回は、続100名城の一つ、小田原にある石垣山城に行ってきました。

石垣山城へのアクセス

JR早川駅から徒歩約50分

箱根登山鉄道 入生田駅から徒歩約1時間

公共交通機関で行くと、最寄り駅から結構歩くことになりますが、土日祝限定で「小田原宿観光回遊バス うめまる号」が走っています。

今回私もこちらを利用しました。

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小田原駅から乗車でき、石垣山城までは約20分。周遊バスなので、帰りもこれに乗って小田原駅まで戻ってこれます。

1日10本なので、うまくこちらを利用すれば石垣山城の真ん前までバスで行くことができます。

1日フリー乗車券は500円。案内係の方に、石垣山城までは往復で600円ちょいかかりますと言われたので、こちらを購入しました。

小田原城にも停まるので、途中下車して両方のお城行くもよし、です。

車内では、ガイド協会の方のガイドを聞けるんですが、恐らくまだ日が浅いと思われるガイドさんで、ベテランと思しきガイドさんにダメ出しされてる姿に心の中でエールを送りながら聞いてました。

www.city.odawara.kanagawa.jp

石垣山城の歴史

石垣山城は、天正18年(1590年)豊臣秀吉の北条氏 小田原攻めの際に笠懸山(石垣山)の山頂に築城されました。

小田原城攻めが長期に渡ると判断しての築城だったようです。

わずか80日という短期間で築城し、完成後に周囲の木々を切り払ったため、北条氏にとってはわずか一夜で城ができあがったように見え、戦意を喪失させたという逸話があります。

このことから別名石垣山一夜城とも呼ばれるお城です。

が、実際は80日でこの規模の石垣造りのお城を築くのは無理なんじゃないか、という見方もあるようです。

秀吉の権威を示すために、後乗せ大盛りにしたという可能性はありますね。

いずれにせよ、短期間でお城を築き上げたことに変わりはなく、その財力と権威が北条氏の降伏の材料になったことには変わりません。

城の遺構

バス停に到着すると、こちらでもボランティアガイドの方がいらっしゃって、説明しながらお城を見学することができます。

もちろん、自分のペースで見たい方は参加する必要ないですし、あと次のバスの時間ギリギリまで、結構ゆっくり時間かけて回るので

わたしゃ、ヨロイヅカファームで茶しばきたいんじゃい!

って方は、参加すると次のバスには乗れません。

(ヨロイヅカファームは、石垣山城のお隣にある有名パティシエ鎧塚さんのカフェ)

ですが、私は「団子より石垣」BBAなので、もちろんガイドさんのツアーに参加。

私が乗ってきたバスでは、ほとんど皆さんガイドツアー参加してました。

お一人なんか、一生懸命メモ取りながら聞かれていて、凄く勉強熱心だな~と尊敬。

(私は毎回、解説聞いてるときは「なるほど!」と思うものの、どんどん記憶が消去されていきます。メモ取るなり、動画撮るなりすればいいのにね。学ばないね。)

 

石垣山城の全体図はこちら。

南曲輪

石垣山城の名にふさわしい総石垣の城。
この石垣を築いたのは、近江の石工集団の穴太衆です。城づくりには約4万人が動員されたそうですが、それを率いていたのがこの穴太衆。

地震の影響で崩れてしまっている箇所もありますが、それでも全壊することなくこれだけ残っているんだから凄いです。

なお、南曲輪の石垣には、城が役目を終えた際に、わざと石垣を壊した痕跡も確認できます。

二の丸(馬屋曲輪)

南曲輪から登ると、だだっ広い二の丸に出ます。

山城ではありますが、それほど登り降りするのに苦労するお城ではありません。(一応麓に杖置いてありましたけど。)

こちらの二の丸は、伝承によれば馬屋が置かれていたそうで(それゆえ別名「馬屋曲輪」)、本丸寄りの場所には「馬洗い場」と呼ばれる湧き水もあったそうです。

今なお、水が流れています。

が、ガイドさんいわくここに馬を連れてきていたというのは考えにくいんだけどな~?ということでした。理由は・・・

忘れた

あの日ご一緒した男性のメモを読ませて頂きたい。

井戸曲輪

上からの撮影&木が陰になって見にくいですが、こちらの井戸曲輪には、秀吉の奥さん淀君の化粧井戸と伝わる井戸があります。

谷を石垣でふさぎ、井戸とした珍しい構造で、現在もこちら井戸からは水が湧いています。

井戸曲輪と展望台の分岐からは、小田原市内がちら見え。

展望台からの景色

本丸

二の丸からさらに上がったところが本丸です。

本丸にある物見台からも小田原市内が見えます。

小田原城も見えるとのことでしたが、手前の木々がモリモリしててほぼ見えませんでした・・・

相模湾の向こうには、三浦半島や房総半島も見え・・・てるのか?これ。

当時はこれらの木々が切り払われ、山の上にドンと巨大な石垣作りの城が、しかも突然現れたということなので、小田原城にいた北条氏の驚愕たるや相当なものだったんでしょう。

上から見たら、下のお城はちっぽけに見えるし。秀吉もここから下界を眺め

人がゴミのようだ

と優越感に浸っていたんじゃないでしょうか。

天守

城の最高所にある天守台。こんもりと盛り上がってはいますが、地震により周囲の石垣は崩れ落ち、原型が分かっていません。

権威を見せつけるためのお城ですし、立派な天守があったのかもしれません。

この天守台の裏は西曲輪と呼ばれるところで、ここが一番安全な場所だったため、淀君天皇の勅使などはここに滞在していたそうです。

帰りは、南曲輪の崩れた石垣の合間を縫って下山。

(これは下から撮った写真)

一時、個人の所有となった石垣山城ですが、現在は小田原市のものとなり、拝観は無料。しかもガイドさんに説明までして頂けます。

おまけ

ガイドが終わり、バス停に戻ってきたのはバスの到着ギリギリだったんですが、途中渋滞している箇所があり、遅れが発生していたので、続100名城のスタンプを押しに行く時間も十分ありました。

(スタンプは、バス停の道路挟んだ向かい側にある駐車場のトイレ前にあります。)

ヨロイヅカファームでお茶することも考えたんですが、ちょうどお昼時で車もいっぱい。混んでそうだったんで、そのままバスに乗り、小田原駅まで戻りました。

うめまる号では、駅までの間に「小田原漁港」や「小田原城」も停まるので、もうちょっと小田原観光をしてもよかったんですが、この石垣山城の前にも坂東札所のお寺行ってたこともあり、少々疲れた。

結局、小田原駅前にあるミナカ小田原のフードコートででランチ。

ミナカには複数の飲食店が入っていて、少しお昼時間過ぎていたこともあり、席も待たずに取ることができました。

 

14Fには無料の展望足湯があるとのことでしたが、暑かったのと、足湯に行くエレベーターが混んでたんで、ここも行くのはやめて、金次郎広場で金次郎さんの写真だけ撮って、小田原から新幹線乗って大阪へ帰りました。

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暑さには強いと自負していますが、やはり年々疲れやすくなっていることは否定できない・・・

 

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック