歴史巡りの旅。
教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。
※この記事は私が過去に旅行ガイドブックサイト『トリップノート』さんに投稿した
をベースにしています。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。
時代:飛鳥時代
(訪問日:2017月6月9日)
古墳時代、大和王権は国内統一を進め各地の豪族たちもその組織に組み込まれていきます。大陸の文化を導入し、体制を強めていく大和朝廷の中で、勢力を伸ばしてきたのが蘇我氏です。
他の豪族(物部氏)を滅ぼしたり、娘を天皇と結婚させて、外戚として力を握っていきます。権力のために結婚を利用するっていうやり方、歴史ではあるあるですよね。
その蘇我氏が拠点とした地が、現在の奈良県明日香村。時代名は「飛鳥」地名は「明日香」です。
思えば、「飛ぶ鳥」と書いて「あすか」と読むって。何で?って感じ。「Why Japanese pepole!?」やわ。まさに。
明日香村には、今も当時の史跡が多数残っています。今回はその史跡たちをご紹介。
甘樫丘(あまかしのおか)
蘇我蝦夷・入鹿親子が中腹と麓に邸宅を構えていたと言われる場所です。
公園内にある148mの小高い丘を上ることができます。
途中、クイズなんかもあったりして。
ヒントとして「ブナ科」と言われても、樹木に疎い私にはちっともヒントにならん。。。
クヌギはブナ科。クヌギはブナ科。クヌギはブナ科。(とりあえず覚えるために3回唱えてみた)
頂上にある展望台からは、明日香村や付近の山々が一望できます。
蘇我氏親子はこの丘に上って、自分の権力を誇っていたんでしょうかね。権力者、でかい墓作りがち。上から民衆見下ろしがち。あ、これは今も同じ気がする。だからあちこちにタワマン建つのよ。うちの周りもタワマンいっぱい。あー見下ろされてるわー
飛鳥寺
百済から伝わった仏教。その伝来の年には538年と552年二つの説があります。有力なのは538年の方だそう。覚え方は、ご(5)さん(3)ぱ(8)い。552年やといい語呂が思い浮かばないからこっちでよかった。
蘇我馬子によって創建された日本最古の本格的寺院が飛鳥寺です。
飛鳥文化は、日本初の仏教文化。ここから文化といえばお寺とか仏像がわんさか出てきて、「あー覚えられん!!!」ってなりますよね。でも、実際行って自分の目で見れば記憶に残りやすいです。ただ、私も自分で訪れるようになったの社会人になってからなんで、試験とかもう関係なくなっちゃいましたけど。
ここにあるのが、日本最古の仏像 飛鳥大仏
大仏と名はついてますが、像高275.2cmなので奈良や鎌倉なんかの大仏と比較したらお小さいです。 でも、その歴史はどの仏像よりも古く、完成は609年と言われています。2021年現在、1412歳です。数度の火災で破損した箇所もありますが、顔や指の一部は当時のままだそう。数々の争いや、天災が繰り返されてきた日本の歴史をずーっと見守ってきた仏像さんです。
入鹿(いるか)の首塚
蘇我入鹿の首塚は、飛鳥寺の裏門を出て道を挟んだ先にあります。
蘇我馬子は、聖徳太子と共に推古天皇のもと政治を行っていましたが、その後孫の入鹿は聖徳太子の息子である山背大兄王を滅ぼし、権力を拡大します。ちなみに、蘇我氏の系列の順は稲目→馬子→蝦夷→入鹿です。全員キラキラネームか。馬子って。もうそれ馬ですから。
権力を握ると反発が起こるのはセオリーで。案の定、蘇我蝦夷&入鹿親子は中臣鎌足と中大兄皇子による政変でたおされます。これが645年に起こった乙巳(いつし)の変。
以前はこの事件を大化の改新って言ってたと思うんですが(私もそう習った)現在は、「大化の改新」というのはこの政変ののちの諸改革を指し、政変自体は乙巳の変と呼ぶそうです。
暗殺された入鹿の首は数百メートルも飛び、この首塚のある場所辺りに落ちたという言い伝えがあります。歴史に名を刻む人の首、時に飛びがち。
伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)
7世紀、この地方に歴代の宮が造営されたましたが、遺跡はどれも確認されていません。その中で、皇極天皇の飛鳥板蓋宮はこの辺りに造営されたという伝承があり発掘調査が続けられてきました。
さきほど書いた乙巳の変が起きたのが板蓋宮なので、ここがそうなのであれば、ここは歴史に名を残す大きな出来事がおきた現場ということです。想像力を働かせて、こののどかな風景から政変を思い浮かべてみましょう。急に血なまぐさくなることこの上なしです。
橘寺
橘寺は聖徳太子が誕生としたと伝わるお寺。
聖徳太子というのは、生前には用いられておらず、今は厩戸(うまやと)王という風に呼ぶみたいですが。当時は橘の宮という欽明天皇の別宮で、その場所に聖徳太子が建立したのがこの橘寺。
聖徳太子自ら作った池もあります。
二面石なんていうおもしろ石像もあります。明日香はこれ以外にもおもしろい石造物が色々あるので、これらも合わせて巡るのがおすすめです。
おすすめはこの亀石。顔、かわゆし。(亀石があるのは橘寺内ではありません。)
天武・持統天皇陵
乙巳の変を起こした中大兄皇子は、のちに即位して天智天皇となります。その天智天皇の跡継ぎ争いが672年に起こった壬申の乱。天智天皇の弟(大海人皇子)と息子(大友皇子)の争いです。これに勝利したのが、弟の大海人皇子。即位して天武天皇となります。そしてその奥さんが持統天皇。この二人が合葬されているのがこちらの御陵です。ちなみに、持統天皇は天智天皇の娘。すなわち天武天皇の姪っ子です。かなり年の差夫婦でしたが、天武天皇の施策を持統天皇は受け継いでおり、夫婦仲は良かったんじゃないか、なんて言われています。合葬されてることもその証の一つのように感じます。ま、夫婦の本当の姿なんて当人しか分からんでしょうけどね。って独身の私が偉そうに言えたもんじゃないですが。
高松塚古墳
7世紀から8世紀にかけて造られた古墳で、日本で初めて石室内に描かれた壁画が発見されたました。
女性4人が描かれた壁画。日本史の教科書で見たことあるんではないでしょうか。
古墳内は非公開により本物を見ることはできませんが、隣にある高松塚壁画館で再現された石室部が見られます。
他にも、有名な石舞台古墳がありますが、私このとき行ってなくて(昔行ったことあるけど写真ない。。。)今回は写真なしです。むしろこの石舞台が一番有名じゃない?って感じなんですけど。もはや馬そのものやん、でお馴染みの蘇我馬子の墓とも言われている横穴式石室です。
明日香の史跡群は1日あれば十分巡れます。道の途中や田畑の間にある史跡も多いんで、車よりも小回りがきくレンタルサイクルがおすすめ。私も自転車でぐるぐるまわりました。(そもそもペーパードライバーで車の運転ができひんねんけど)1400年前、権力者の思惑が渦巻いていたとは思えないほど、今はのどかな明日香の地。奈良に訪れた際は、市内からちょっと足を延ばして訪れてみてはいかがでしょうか。
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